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プロフィール

こんにちは、トーマスです。

このブログに来ていただきありがとうございます。

 

現在、私は中国輸入ビジネスで企業・独立していますが、

以前はサラリーマンとして会社に8年間勤めていました。

 

サラリーマンとしての生活に不安を覚えて、

サラリーマン時代の2016年1月から中国輸入ビジネスを始めました。

昼間は仕事をして、隙間時間や夜に中国輸入した商品を

ヤフオク、メルカリ、アマゾンで出品して稼いでいました

 

副業時代は1日1時間の作業で月収85万円(年収1000万円)まで

稼ぐことができたので、輸入ビジネスに専念するために起業・独立しました。

現在は、自由な時間を利用して、世界各地を旅行しながら生活しています。

 

下記に副業時代の収入実績をお見せします。

 

メルカリ実績:月収12万円

 

ヤフオク実績:月収45万円

 

Amazon実績:月収50万円

 

経歴

大学時代にヨーロッパやニュージーランド、ハワイ島、日本国内をバックパックで回る。

仕事を始めてから、海外出張で北米、南米、東南アジアを中心に約20か国に滞在する。

英語と飲酒という言語で、様々な人種とコミュニケーションをとるのが得意。

過去の渡航先写真はこちらをクリック

 

主な実績

  • 2016年  1月:中国輸入ビジネス開始、月商30万円 月収10万円達成
  • 2016年  5月:月商80万円 月収30万円達成
  • 2016年  9月:月商160万円 月収60万円達成
  • 2016年10月:月商230万円 年収1000万円(月収85万円)達成
  • 2016年10月:輸入ビジネス会社のT.A.D株式会社を設立

このブログはサラリーマンとして働いている方々に

精神的・金銭的な自立を促すために役立つ情報を提供しています。

 

私は副業を始める前は、会社の人事に振り回され、

仕事も辛くて会社を辞めたいとばかり考えていました。

 

しかし、副業を始めて、副業だけで月収80万円を稼げるようになり、

いつでも会社を辞められるという精神的自立を手にしました。

現在は会社から独立して、金銭的・時間的に不自由のない生活をしています

 

手にした自由な時間でサラリーマン時代には行けなかった世界各地を旅行して、

ネットで輸入ビジネスをしながら生活に困らない額を稼いでいます。

 

私は世の中のサラリーマン達に、会社に依存しなくても

自分で稼げるということを伝えるためにこのブログを立ち上げました。

 

会社に依存せずに自由になろう!

自分の人生は家族や自分だけのために使おう!ということを広めたくて

このサイトで副業で月収85万円を稼いだノウハウを記事にしています。

 

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ここからは、かつて企業戦士だった私が会社に裏切られて、

副業を始めた経緯をまとめています。

 

もしご興味があれば、お時間があるときにお読みいただければ幸いです。

 

トーマスのプロフィール

高校卒業まで

自分の人生を振り返ると、社会人になるまでは自由に生きてきました。

 

静岡県のある企業城下町でノホホンと高校生まで過ごしました。

子供時代から束縛や強制という言葉が大嫌いで、よく習い事をさぼっていました。

 

小学校・中学校時代は良い思い出しかありません。

放課後に裏山で暗くなるまで遊んだり、天気の良い日は学校をさぼって

隣町の廃ビルの屋上で友達と話しこんだりと勉強を全くせずに遊んでいました。

 

 

高校へ進学しても変わらず、授業中にひたすらラノベや歴史小説を読み、

夏季講座をさぼってプールに泳ぎに行っていました。

 

幸いにも(不幸にも?)進学校ではなかったので、大学受験を控えた

高校3年生になっても勉強せず、当然のように浪人しました。

 

人生の転機:自分を見つめなおした浪人時代

浪人を2年間することになりましたが、今思えば人生の転機がこの時に訪れました。

 

浪人1年目はなんとなく予備校に通っていて、勉強に身が入らず、

授業や模試をさぼってゲーセンで対戦格闘ゲームに明け暮れていました。

 

当然、受験した大学すべてに不合格通知をもらい、青ざめました。

安くない学費を払って浪人させてもらいましたが、

その結果がすべて不合格では親に合わす顔がありません。

 

何日も悩んだ後に母親に打ち明けると、私の予想を裏切る反応が返ってきたのです。

 

母はただ『二浪する?』と、まるで『今日の夕飯を何にするか?』と聞く感じでした。

今でも、その時に感じた雷に打たれたようなショックを覚えています。

 

「ただ、自分は親に甘えていただけだ」

 

自分が恥ずかしくて情けなくなり、これからは心を入れ替えて頑張ろうと誓いました。

浪人2年目は人生で初めて努力をした年になりました。

 

大好きなゲーセン通いをやめ、一日10時間勉強した結果、成績がぐんぐん上がり、

春には志望校に合格しました。浪人時代に味わった達成感や、感謝の気持ちは、

その後の大学生活や仕事で困難なことを乗り越えるための糧になっています。

 

希望に満ちた大学時代~入社

大学時代は友達に恵まれ、よく遊び、よく勉強しました。

 

大学・大学院時代に日本一周やニュージーランド、ヨーロッパ、ハワイ島をめぐり

行く先々で会った人達と酒を飲み、朝まで話しこむこともしばしばでした。

このバックパック旅行を通じて、将来は世界を相手にする仕事に就きたいと思い、

入社2年目から海外赴任があるということで今の会社に入社しました。

 

私が内定を貰った2008年はリーマンショックによる不景気でリストラや

内定切りの嵐が世間に吹き荒れていました。

私の同級生も内定を切られたため、携帯に内定先から電話が来るたびに

内定切りではないかと怯えていましたが、そんな心配をよそに無事に入社しました。

 

入社当初は希望に燃えており、真面目に研修を受け、日々の雑用や

上司の飲み会相手を一つ一つ丁寧にこなしていきました。

そして入社2年目からの海外赴任に備えて英語も必死に勉強しました。

 

しかし、リーマンショック後の2009年後半になると、私の内に燃える情熱とは正反対に、

世の中を徐々に不景気の闇が覆っていったのです。

 

 

再び訪れた人生の転機:芽生えた不信 

次年度の配属先を内示される2009年12月某日に上司に呼び出されました。

『いよいよ海外赴任の時が来た!』と期待を胸に部屋のドアを開けた私に、

上司は残酷な事実を告げました。

 

『海外の事業所が業績不振で縮小することになった、君の海外赴任は無くなった。』

 

上司の言葉を理解するまで1分位かかったと思います。

 

『まさか!海外に行けないなんて!』

 

だんだん目の前が暗くなり、私の思い描いていた社会人生活が崩れていきました。

 

『来年は国内事業所をまわってもらう』

 

その次の年は全国の事業所を2カ月間毎に転々とすることになりました。

不景気で私のような余剰人員を持て余したため、研修と称して各事業所を

たらい回しにしたのでしょう。

 

この時は色々な仕事を経験できて、現場のおっちゃん達にも可愛がられて楽かったですが、

どの事業所も新人の相手をする余裕はない状態でした。

仕事で簡単な事務作業やデータ入力が割り振られたら良いほうで、朝に出社したら

とりあえず席に座っていることが殆どでした。

副業について考えるようになったのもこの頃からです。

 

 

2010年後半から景気が回復し始め、海外事業所が再び人員が必要になったため、

私の後輩が海外に赴任しました。さすがにこれには理不尽さを感じて、

海外赴任について上司に相談すると、

 

『まぁ、人事だからな。ちょっとしたボタンの掛け違いだ』

 

この時に自分の胸に不信が芽生えました。

確かに私は会社にとっては社員のうちの一人ですが、そのキャリアについて

真剣に考えるべきではないのか。

 

自分の胸に不安と不信が募るなかで、貴重な社会人2年目は過ぎていきました。

 

成長していく不信感、一縷の望み

社会人6年目になり、私は迷っていました。

日本全体が好景気で湧いており、後輩達は次々と海外赴任に旅立つなかで、

私は国内で書類作りや事務作業をしています。

 

正直な話、この時期の私は病んでいました。

全く覇気がなく、何をするにも億劫でした。

後輩の海外赴任壮行会では、私は胸の中で激しい焦燥感を感じていました。

 

いっそのこと転職しようかと思い、外資系企業の面接を受けました。

グローバル展開をしている企業の日本法人を数社選んで面接を受けたら、

その中の1社からトントン拍子に採用をいただきました。

 

自分でも採用されると思っていなかったため、

ここにきて逆に悩むことになるのです。

 

『外資企業に転職すれば海外への道が開ける、

 でも、今の会社でやり残したことがある』

 

食事が喉を通らず、夜も眠れずに、恋わずらいかというくらい何日間も悩みました。

 

結局、答えが出なかったのですが、新たな環境に行こうと転職を決意しました。

その後は淡々と進めました。上司から退職の了承を得て、退職時期や仕事の引継ぎ

スケジュールを決めて、転職先と入社時期を調整しました。

 

諸々の調整や手続きが終わり、あとは辞表を出すだけという段階になると、

課長からメールが送られてきました。

 

『相談がある、○○月××日に会議室に来てくれ』

 

引き留めだ、直観的に感じました。

転職コンサルタントからも引き留めには注意するように言われていました。

甘い言葉に誘われて退職の引き留めに応じても、それらの2/3は1年以内に

退職してしまうという統計があるそうです。

 

しかし、課長は入社してからお世話になり、

尊敬もしていた上司ですので、会わないわけにはいきません。

約束日時に会議室に行くと、やはり引き留められました。

 

「君は会社に必要な人材だ」

「今までの経験があるのに退職するのはもったいない」

「外資系はある日突然クビになる」

 

散々引き留められましたが、

・会社に必要な人材に誰でもできるような事務作業をさせるのか

・今までの経験は大して役に立たない

・この会社でも不況になればクビを切られると

一つ一つ心の中で突っ込みながら、引き留めを固辞しました。

 

私の決意が固いと見るや課長はフッと視線を逸らし、静かに言いました。

 

『次の配属先は絶対に海外事業所にする』

 

これを聞いて、私の心が揺らぎました。慣習からいえば次の人事異動は1年後です。

この5年間、次の年こそは海外赴任があると考えながら、心の平静を保ってきました。

 

後輩や同僚が海外現場でバリバリやっているのに自分は国内で燻っている、

そんな屈辱に耐えてきました。ここで転職するとこの5年間は無駄になる。

あと1年間我慢すれば、念願の海外赴任だ・・・・・

 

『やはり考えさせてください』

 

気づけばこんな言葉が口から出ていました。

その後は転職先企業や転職コンサルタントに謝って転職を取りやめ、

毎日人事異動までの日数をカウントダウンしながら過ごしていきました。

 

断ち切られた望み

1年後、次の人事異動を内示するために課長から呼び出されました。

 

私は次の配属先が海外赴任以外だったらどうしようかと不安になっていました。

なぜなら会社の中で、あまりにも多くの酷い状況を見てきたからです。

 

  • サービス残業や休日出勤が当たり前な職場の雰囲気
  • 人手不足で人員が補充されず、激務で病んでいく同僚
  • 日常的なストレスでやられて、死んだ魚のような目をした管理職
  • 不況時にリストラされる20年間会社に尽くした先輩社員

 

私は、このままでは絶望的な会社員生活にどんどん近づいていくと感じていたので、

海外で心機一転して仕事に集中したいと思っていました。

 

次の配属先の内示は、私を引き留めた課長から告げられました。

 

『次の配属先は国内のある事業所だ』

 

課長は引き留めの時に約束したことなどなかったかのように淡々と告げました。

その内示を聞かされても私の心は穏やかでした。心のどこかで課長の言葉を

予想していかもしれません。

 

もはや、私は1年前の約束を持ち出して、課長をなじる気はありません。

私の心を諦めが支配しました。私は会社員生活に絶望したと同時に悟ったのです。

 

「会社と社員は対等ではない。」

 

こんなわかりきったことを悟るまで私は7年間かかりました。

自分の将来を会社に依存した結果、貴重な20代を会社に振り回され、

臨んだキャリアも得られませんでした。

 

ふと過去を振り返り、何がいけなかったのか思いを巡らせました。

2年目に海外赴任が流れた時、6年目に転職しなかった時、もし自分に給料以外の

収入があれば、他に選択肢があったはずです。

 

会社に自分の人生を振り回されずに済み、自分の望む生き方ができたはずでした。

 

精神的な自立へ

このように過去を振り返り、たとえ会社に属していても

経済的に自立していなければならない思って、副業を始めました。

 

幸いにも副業として始めた中国輸入ビジネスは、初めから順調にいき、

収入が右肩上がりに増えていきました。

わずか開始半年で、副業だけで自分のサラリーマンの月収を安定して稼げるようになると、

心に余裕が出てきたことを感じました。

 

会社で立場が悪くなったらどうしよう。

 

以前はこのようなことを考え、上司や同僚に色々なことを遠慮していましたが、

副業を始めてからは良い意味で遠慮がなくなりました。

今では繁忙期を外して一週間有給休暇を取ってのんびりしたり、

仕事でも上司にガンガン自分の意見をぶつけたりしています。

 

不思議なもので、そのようなことをしていても私の立場は悪くなるどころか、

逆に会社の中で自分の存在感が出てきて、仕事もうまくいくようになりました。

 

経済的に自立することで精神的にも会社と対等になったと思えます。

以前は何をやるのも億劫でしたが、今は毎日が快適で楽しく感じています。

副業を始めるまでは、毎日会社を辞めることしか考えていませんでしたが、

今はできるだけ仕事を続けても良いと考えています。

 

会社から経済的・精神的に自立して、私は初めて自由になったのです。

 

今はサラリーマンに厳しい時代、どう生きる?

「会社に依存した生き方は危険である」

 

契約社員はいつでも契約打ち切りになり、派遣社員は正社員との待遇差を感じます。

正社員も例外ではなく、会社にリストラされないため、体力、精神、プライベートを

すり減らして残業や休日出勤、飲みの付き合いをしないといけません。

 

  • 上司の思い付きで発生する無駄な仕事
  • 午後5時からの会議や仕事の無茶ぶり
  • 延々と昔の自慢話をする上司に笑顔で相槌を打つ飲み会

 

サラリーマンであれば誰でもこのような経験をしたことがあるでしょう。

こんなことを5年10年と続けていけば、あなたも満員電車でくたびれたスーツを着て、

朝から疲れた顔をしているサラリーマンの仲間入りです。

 

安定という幻想に身も心も捧げたサラリーマンも

不況になればリストラ候補になります。

正社員という椅子取りゲームの為にそれまで以上に

神経をすり減らす日々が続くでしょう。

 

一時期は隆盛を誇ったシャープは業績不振により台湾企業に買収されました。

東芝は幹部役員の不祥事により、必死に働いてきた社員達がリストラされています。

 

 

今はサラリーマンに厳しい時代です。

誰にでも、いつ何時に不運が襲ってくるかもわかりません。

そのような時に会社に依存していたら、どうすればいいのでしょう?

しかし、考えてみてください。

 

会社の給料以外でもお金を稼ぐことができればどうでしょうか?

 

経済的に自立していれば、出世やリストラを気にして、会社でビクビクすることもない。

パワハラを受けたら会社と上司を訴えて、転職すればいいだけです。

自分の本当にやりたいことができた時に、リスクを取って挑戦することができます。

 

副業は年功序列に関係なく、努力した分だけお金を稼ぐことができます。

会社の業績や上司の気分に稼ぎが左右されることもありません。

副業をしながら将来や老後に対して備えることができます。

究極的には定年後もお金を稼ぐことができます。

 

今は自分でお金を稼ぐ能力がないと自由・安心・安定という言葉は得られません。

あなたは「副業」というキーワードからここにたどり着いたことでしょう。

何かしらの会社への不満や将来への不安、自由の渇望があることでしょう。

 

私も会社に依存していたため、人生で何度もチャンスを逃してしまいました。

20代で海外赴任をして、世界を相手に仕事したいという希望をもって入社しました。

 

しかし、何年待っても海外赴任はなく、海外に旅立つ同僚や後輩を見送るばかり。

絶望した私は諦めて転職しようと外資系企業に内定を戴きましたが、

上司の「必ず次の転勤先は海外にする」という言葉を信じて会社に留まりましたが、

結局その話はありませんでした。

 

もし、この時に自分に副業で稼ぎがあれば、リスクを恐れずに海外に出ていけました。

上司の甘い言葉に辞表を叩き付けて転職できたと思います。

一度きりの人生を後悔なく過ごすためには、経済的に自立している必要があります。

 

このサイトが、あなたを経済的・精神的に自立するためにお役に立てれば幸いです。

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